Dr. Bratthallは、1970年を挟む数年に発表されたミュータンスレンサ球菌の血清型の研究において、研究者としての最初のピークを迎えた。う蝕の病因解明の遅れが、20世紀後半の機械的修復に極端に傾斜した歯科医療を生む一因となっていたが、Dr. Bratthallはう蝕の病因の解明に寄与することをもって、口腔の健康に大きな功績をあげた。ミュータンスレンサ球菌の研究は1950 年代の選択培地の開発によって一気に進み、 KeyesとFitzgerald(1960)によってエナメルう蝕のミュータンスレンサ球菌原因説が証明された。しかし、原因菌の伝播の証明は、遺伝子レベルの検索ができなかった当時、極めて困難だった。これを解決したのが、ミュータンスレンサ球菌の血清型やそれにつづくバクテリオシンタイプの解明である。Dr. Bratthallのミュータンスレンサ球菌の血清型に関する研究は、う蝕原因菌の伝播を証明する上で極めて重要な道具となった。 しかし口腔微生物学者として出発したDr. Bratthallは、研究室に閉じこもってはいなかった。私たちがDr. Bratthallの名を知るのは、その後のう蝕の国際的な疫学研究においてである。WHOの顧問となったDr. Bratthallはルンド大学(後にマルメ大学に併合)にWHO Collaborating Centreを設立した。また、Dr. Bratthallは、いち早くインターネットを利用し、WHO Collaborating Centreのホームページで世界各国の最新の12歳児DMFTやSic指数(Significant Caries Index)が一覧できるようにした。 そして、カリオロジーの研究成果を元に簡易なカリエスリスク検査キット(Strip mutans test, Lactobacilli, Saliva
flow and Saliva buffer capacity)を開発、同時にその検査データを使って「患者のう蝕を避ける可能性」をシミュレーションするリスク評価プログラム“Cariogram”を考案した。これによってカリエスリスクコントロールという概念、あるいは口腔微生物学者Dr.
Bratthallが研究生活の最初期に抱いたカリオロジーに基づくう蝕治療の概念は、ついに現実的なものとなったのである。 |